中学生自殺問題についての私感

福岡県筑前町の中学生自殺問題。
一年生の時の担任教師がいじめを助長する卑劣な言葉を少年に与えたとか、学校や教育委員会がいじめを隠蔽していたとか、さまざまな陰湿な現実があからさまになっています。
ご両親は怒り心頭で、そしてマス・メディアは必要以上に大興奮してこの問題を取り上げていました。
ご両親の気持ちを察すると、これはもう言葉にならない悔しさでいっぱいでしょうし、同じ年頃の子どもを持つ親として、これは人ごとではありません。

でも、冷静に考えてみますと、事の発端になった「少年がエッチなサイトを閲覧して困っていた」なんてコトを、なぜ家庭内で解決できなかったのか…………、というよりも、エッチに興味が惹かれるのは、この年頃の男の子ならごく普通のコトですから、それを学校に相談するコト自体、少年にとって大きな屈辱だったと思います。
つまり、ご両親が相談したコトを前担任教師が同級生におもしろおかしく話したコトと同じくらいのショックと不信感を、いや、それ以上の恥ずかしさを、少年はご両親から受けんじゃないかと。

だから自殺にまで追い込まれる過程で、いちばん身近なご両親さえ信頼できなくて、そして相談もできなくて………、結局あんなコトになってしまったんじゃないか、と思います。

マスコミに登場するご両親の怒りに満ちた過激な発言を耳にするたびに、「悪いのはすべて学校側で自分たちはなにひとつ、1%も悪くない」という無責任な威圧感を感じるのは、ぼくだけでしょうか。

お子さんを亡くしたご両親の悲しみ、そして怒りの矛先については同情しているのですが、なぜか素直にご両親の気持ちになれない。
少年にとって居心地のいい「家庭」がそこにあったのか、ぼくにはそこがわからないのです。

支離滅裂な文章ですみません。
そしてこの自殺問題について真剣に考えている方、安易な意見に不快に思われたかも知れません。
でも、子どもが学校のいじめに耐えきれない状況になっても、家庭さえ居心地よければなんとかなった…………と、ぼくは考えています。登校拒否はしても、自殺までは考えなかったんじゃないかと。