いじめについて、今思うこと

いじめを苦に電信柱で首を吊って自殺してしまった愛媛県今治市の中学1年の男子生徒。
彼が遺した直筆の遺書が、今日の朝刊に掲載されていました。
ご両親が公開したその遺書には、なんとも言えないつらさがにじみ出ており、彼をいじめた同級生たちはこの遺書を読んで、いったいどう感じたのか、問いただしてみたくなりました。


ぼくも小学生の頃、背が低くてやせていたのが理由で、大きい子によくいじめられました。
そしてある程度身長が伸びてくると自然にいじめられなくなり、中学生になったら、今度はいじめる方にまわってしまったんです。
いじめのターゲットは、多少の知的障害を持っていた同級生。
いじめというより、からかっていたというのが本音ですが、まわりから見ればそれはいじめ以外の何物でもなかったかようです。
見かねたクラスメイトが担任の先生にその事実を告げて、いじめに参加していた連中は(当然ぼくも)、先生にコテンパンに怒られましたね。
そして両親と一緒に、自宅まで謝罪をしに行きました。

体や言動(話し方や運動能力など)に弱点を持っている人が、なにかしらのキッカケでそのマイナス面が目立ってしまった時…………、その人に対してバカにした態度をとるのか、それとも同情するのか、人として育った環境が大きく影響するのは、その時でしょう。
ぼくはいじめられる立場からいじめる立場まで、その両方を、ささやかですが経験しました。
いじめという境界線で両方を見比べた場合、「いじめられる方にも悪いところがある」とわかったようなことを平気で言うバカもいますが、いじめられる側は100%悪くない、と個人的には断言したいですね。
例えいじめられる側が、自分勝手でわがままな人でも、それを注意するのではなく、陰湿にいじめて仲間はずれにしようとする人の方が悪いに決まっています。


今回の遺書には、残された両親に対する感謝の気持ちや、死を決心するに至るまでの悲しさが淡々と記されていました。
それを読みながら、彼をここまで追いつめた「いじめ」に対して、改めて憤りを感じましたね。
そして中学生の頃、いじめる立場にいたぼくたちのことを先生に告げてくれた友人と、コテンパンに怒ってくれた先生、そしてぼくと一緒に謝罪に行ってくれた両親に、心から感謝しています。