母親へのトラウマ

女房が北海道に行っているあいだ、食事の支度や洗濯は、同居している母親がまかなってくれています。
こういう時の同居っていうのは、やはりありがたいですね。

下着やシャツ、靴下など、ぼくと息子たちの洗濯物はほとんど母親に頼んでいるのですが、スラックスだけはなぜかお願いできないんです。
自分で洗うとか、クリーニングに出すとか、おしっこをかけたとか、別に現実的な障害はなにひとつないんですよね。
でも、なぜか頼めない。
女房が帰ってきてから洗ってもらおう………って、なんの迷いもなくそう思ったのです。

なぜそう思ったのか、自分でも不思議だったんですけど、きょう、その「トラウマ」を思い出しました。


それはまだ中学生の頃、唯一のおしゃれ着であるジーパンを、母親が洗ってくれたんです。
当時ジーパンなんてあんまりはいていなかったんですけど、それでも友だちと遊んだりする時には、たった一本しかないジーパンで、自分なりにおしゃれを演出しておりました。

事件があった日曜の朝、いつものようにジーパンを探したら、部屋の隅っこにきちんと畳んで置いてあったんですよ。
ジーパンを畳むなんて、これは母親の仕業に違いありません。
でも、文句を言う筋合いでもありませんので、そのままはこうとしたら、なんかゴワゴワしているんです。
ああ、洗ってくれたんだなぁ〜。
でも、文句を言う筋合いでもありませんので、そのままはいてみたら…………ビックラギョーテンでございますよ。
ジーパンにはしっかりアイロンがかけられていて、あろうことか、新品のスラックスのようにキッチリ線が入っているのですよ。
真ん中にきれいに線が入っているジーパンをはいている人なんて、見たことがありません。
ぼくは先駆者か?


それ以来、母親とズボンの関係は、なんとなくトラウマになっていたんですね。
結婚するまではそんなことは全然思っていなかったんですけど、今頃思い出すなんて、本当に不思議です。