画像処理した写真の怖さ

自分が撮影した月の写真と、飛んでいるコウモリの写真を二枚合成してみたら、あまりにも出来がよかったので、つい夕刊に記事として掲載してしまった、………という、産経新聞の記者が虚偽の画像を創作したお粗末な事件。
「月とコウモリの両方にピントが合っているのはおかしい」という社内の指摘から、事件が明るみに出たみたいです。

パソコンや画像処理ソフトの普及により、だれでも簡単に写真の合成や修復ができるようになりました。
ぼくも自分のWebサイトで、写真を合成したパロディをつくっていますが、こんなコトを平気でできる時代です。
明らかにパロディとわかるモノならまだしも、ありとあらゆる「現実」を合成して、虚偽の新しい「現実」をも造り出せすコトができるのですから、ある意味怖いですね。
北朝鮮が公開した拉致被害者横田めぐみさん)の安否に関する写真も合成だった、という話もありますし………。

それにしても、新聞という一番信頼されるべきメディアがこのような虚偽の合成写真を「真実」として掲載したというコトに、言いようがない不快感を覚えます。
たかだか記者個人の暴走かも知れませんけど、テレビ番組の「やらせ」以上に安易すぎて、逆に質が悪いような気がします。(ちょっとした技術さえあれば、だれにでも簡単にねつ造できますから)

真(実)を写すのが「写真」なのに、最近の画像処理によって生み出される合成写真を本当に「写真」と呼んでもいいのか、ちょっと疑問を感じています。
………って、画像処理をなりわいとしているこのぼくが、イバって言うのも変ですけど、そういう仕事をしているからこそ、偽るコトの怖さもわかっているんです。