17歳の凶行

17歳少年が、小学校教諭らを殺傷した大阪の事件。
加害者の少年がその動機について、「小学校時代にいじめに遭った際、担任の先生が助けてくれなかった」と供述しました。
でも、当時の担任教諭は「恨まれる心当たりはない」と説明したとし、その真実ははっきりしていません。

テレビのニュース番組などでは昨日に続いて、少年の人物像を解説したり、事件そのものの検証を報道しています。

殺傷されたのが、当時の担任教諭なら、きっと少年の供述がある程度の真実味を帯びたことでしょう。
しかし、全く関係のない教諭たちを殺傷したことで、この少年の心の歪み、屈折した感情など、ある意味「担任教師を殺傷する」ことよりも大きな衝撃として、ぼくたちを驚かせます。

きっと彼は引きこもった部屋の中で、自分の将来について不安を抱いていたかと思います。
そしてその不安は、「なぜ自分がこんな風になってしまったのか」という感情に変わり、「こんな風になってしまったのは自分のせいじゃない、誰のせいだ?」と、その原因を探し始めたのではないでしょうか。
………被害者意識を正当化することにより、「自分は悪くない」と思い込んでしまう。

その結果、本当にいじめられていたかどうかはわかりませんが、「小学校時代にいじめに遭った際、担任の先生が助けてくれなかった」というひとつの理由(もしくは妄想)を作り上げ、どんどんボルテージが上がってしまった………。

あ、これはぼくの勝手な想像ですので、不謹慎な点はご容赦ください。


さて、この事件の裏側では、またも「テレビゲーム」の存在が取りだたされています。
少年がゲーム漬けであったという事実。

テレビゲームで楽しく遊び過ぎて、多くの貴重な時間を失ったり、本来育つべく能力が抑制されてしまった子どもたちが確実に増えている今、このような事件が再び起きないよう、願うばかりです。

特に、他人から与えられたシナリオを解くことに躍起になってしまうRPG………、ハマり過ぎると脳が異常をきたしてしまうみたいですので、要注意です。